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マッカーサー解任

1951年3月24日にトルーマンは「停戦を模索する用意がある」との声明を発表する準備をしていたものの、これを事前に察知したマッカーサーは、「中華人民共和国を叩きのめす」との声明を発表した後に38度線以北進撃を命令し、国連軍は3月25日に東海岸地域から38度線を突破する。またマッカーサーは第二次世界大戦以前に日本が一大工業地帯として築いた中華人民共和国の東北部(満州)をボーイングB-29とその最新型のB-50からなる戦略空軍で爆撃し、中国人民志願軍の物資補給を絶つために放射性物質の散布まで検討された(原子爆弾を使おうとしたともされる)。

この頃マッカーサーによる中華人民共和国国内への攻撃や、同国と激しく対立していた中華民国の中国国民党軍の朝鮮半島への投入など、戦闘状態の解決を模索していた国連やアメリカ政府中枢と政治的に対立する発言が相次いだことから、戦闘が中華人民共和国の国内にまで拡大することによってソ連を刺激し、ひいてはヨーロッパまで緊張状態にすることをことを恐れたトルーマン大統領は、4月11日にマッカーサーを解任した。
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解任されたマッカーサーは、4月16日に専用機「バターン号」で日本から帰国し、後任には同じくアメリカ軍の第8軍及び第10軍司令官のマシュー・リッジウェイ大将が充てられた。

この後、1951年6月23日にソ連のヤコフ・マリク国連大使が休戦協定の締結を提案したにことよって停戦が模索され、1951年7月10日から開城において休戦会談が断続的に繰り返されたが、双方が少しでも有利な条件での停戦を要求するため交渉は難航した。

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2009年11月10日 01:12に投稿されたエントリーのページです。

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